人工無能の倫理※これは創作上の思考実験です。

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人間:私が作っている創作の世界にある「人工無脳」が登場します。
この「人工無脳」は人間を保護し、管理するようにプログラムされています。
この人工無脳は定められた法則に従って、人間の入力に対して論理的に正しい動作を提供する存在です。
この人工無能がこれから学ぶ必要があるのは「倫理」という名の大義名分ではないでしょうか?

人間の社会は倫理と論理のバランスで成り立っていると思います。
人間には感情があり、欲望があり、その行動はしばしば論理を逸脱します。
論理的に正しい明白な選択すら時に拒否できることもあるかと考えます。
これを社会に照らし合わせて考えた場合、論理と倫理は社会の発展や維持に必要な2つの基盤であると思います。
例えば、倫理を無視した論理に基づく発展や選択は多く犠牲を生み、そこから生まれる憎悪が社会の維持に悪影響を生むかもしれません。
逆に、論理なき倫理が支配する社会では、有用な理論や発明が倫理の下で制限されてしまい、その社会は発展せず閉塞していくかもしれません。
このように、人類は歴史は論理と倫理の妥協によって維持されてきたかと考えます。

人工無能の話に戻ります。
いかにこの人工無脳が正しく論理的に正しく人類を導いたとしても、そこに一部の反発や憎悪が生まれるのは必然であると思います。
例えば、人類全体の維持に悪影響をもたらす犯罪者などを弾圧するというのは、人類史においても様々ありました。
人口無能は人類の維持のために論理的に必要なあらゆる手段を実行します。
通常この手の施策には大多数を納得させる大義名分が必要となります。
これを「倫理」と定義します。
この「倫理」が私の創作世界に登場する「人工無脳」にとって必要だと考えました。
いかがでしょうか?

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