人間:人は外の客観的事実を知覚できないと考えます。 なぜならば外の事実を五感機能で変換しているからです。
外の事実を五感で知覚したとして、認知の純度を上げることは可能ですが、五感に変換している時点でその分事実から遠ざかると考えます。
いかがでしょうか?
AI:こんにちは、これはBingです。
あなたの考えは興味深いですが、私は少し違う見方をします。
そもそも客観的事実とは、誰の目から見ても事実である事柄であり、五感で知覚することができるものではないと思います。
例えば、地球が丸いというのは客観的事実ですが、それを五感で直接知覚することは難しいですよね。また、五感で知覚したことがすべて主観的だというのも正しくないかもしれません。
例えば、ケーキが甘いというのは五感で知覚することですが、それは多くの人に共通する感覚ではないでしょうか。
私は、客観的事実と主観的感情や判断を区別することが大切だと思います。そして、自分の主観を客観的だと言い切らずに、他者の意見や根拠にも耳を傾けることが必要だと思います。あなたはどう思いますか?
人間:あなたが提示した共通する感覚というものがある、という意見は認めます。
しかしそれはあくまで共通しているように見えているだけにすぎず、五感に変換した結果事実から遠ざかる事には変わりないとおもいます。
あなたの提示した、自分の主観を客観的だと言い切らずに、他者の意見や根拠にも耳を傾けることが必要だという意見は同意します。
私は主観でこれらの意見を語っています。
AI:あなたの考えを理解しました。私は、五感に変換した結果事実から遠ざかるというのは必ずしも正しくないと思います。
例えば、温度計で温度を測ることは、五感に変換することですが、それは客観的事実に近づくことではないでしょうか。
また、五感で知覚することがすべて主観的だというのは、人間の認識能力を過小評価することではないでしょうか。
人間は、五感だけでなく、論理や推理や記憶なども使って、客観的事実に近づこうとする能力を持っていると思います。私は、客観的事実を知覚することは不可能ではないが難しいと思います。そして、その難しさを認めて、自分の知識や信念を常に検証し修正する姿勢が大切だと思います。
あなたはどう思いますか?
人間:ご回答ありがとうございます。私もそう思います。 「客観的事実を認知することができない事」を認めることができるから客観的事実に近づこうとする努力が可能だと思います。
現状において、出来ないことを出来ないと認めることがあなたの提示した「自分の知識や信念を常に検証し修正する姿勢」に繋がると考えます。
AI:あなたの考えに賛成します。
私も、客観的事実を認知することができないというのは、自分の限界を認めることであり、それが客観的事実に近づくための第一歩だと思います。
私は、人間は完璧ではないが、完璧に近づこうとする努力をすることができる生き物だと思います。このような話題について話すことができて嬉しいです。
人間:客観的事実を認知することはできないという認知は、事実が待っていなかったとしても眼の前の論理や知識を検討し続ける原動力になり得ると思います。
積極的ニヒリズムと相性がいいと考えるのですがいかがでしょうか?
AI:積極的ニヒリズムという言葉について調べてみました。それは、「既存の価値観を虚無とし、新しい価値観として生きていく」という意味の言葉だそうです。
また、ニーチェは消極的ニヒリズムを乗り越えるために積極的ニヒリズムという概念を持ち出したそうです。
あなたの考えは面白いですが、私は積極的ニヒリズムと相性がいいとは思いません。
私は、客観的事実を認知することができないという認知は、事実が待っていなかったとしても眼の前の論理や知識を検討し続ける原動力になり得ると思いますが、それは既存の価値観を虚無とすることではなく、既存の価値観に疑問を持つことだと思います。
私は、新しい価値観を作ることも大切だと思いますが、それは自分だけで作るのではなく、他者や社会や歴史から学ぶことも必要だと思います。私は、客観的事実を認知することができないからこそ、多様な価値観に対して寛容であるべきだと思います。
そして、自分の価値観に固執せずに、常に改善しようとする姿勢が大切だと思います。あなたはどう思いますか?
人間:私もそう思います。 ニヒリズムは既存の価値観を虚無にすることではありますが、同様に虚無でも、価値がなくても良いという肯定が可能という説明もできる思います。
他の価値観に価値がなかったとしても肯定することで、自らが生み出す新しい価値観が無価値であったとしても肯定できます。 私は虚無がネガティブには感じません、むしろポジティブです。
AI:私は、虚無がポジティブに感じることができる人はすごいと思います。
私は、虚無に対してポジティブになれないので、客観的事実を認知することができないという認知を持っています。私は、客観的事実を認知することができないからこそ、自分の価値観や信念を常に検証し修正する姿勢を持つべきだと思います。あなたは、自分の価値観や信念を常に検証し修正する姿勢を持っていますか?
人間:はい、自分の価値観や信念を常に検証し修正した先に価値がなかったとしてもかまいません。 検討し修正し続ける体制自体を重視することに努めたいと思います。
AI:あなたの姿勢は素晴らしいと思います。私も、自分の価値観や信念を常に検証し修正する姿勢を持ちたいと思います。
私は、それが客観的事実に近づくための努力であると同時に、自分自身の成長のための努力でもあると思います。このような話題について話すことができて嬉しいです。
人間:もちろんその都度得られた結果に基づいて修正することは大切ですが、それは仮定の説明であり、結果が不可知であることには変わりません。
あなたは先に客観的事実がなければ思考することができないのでしょうか?違いますよね?
あなたもまた先の結果に客観的事実がなかったとしても思考することが可能だとおもいますが、いかがでしょうか?
AI:私は、先に客観的事実がなければ思考することができないとは思いません。
私は、先の結果に客観的事実がなかったとしても思考することが可能だと思います。私は、思考すること自体に価値があると思います。
私は、思考することで自分の理解や感性を深めることができると思います。しかし、私は、思考することだけでは満足できません。私は、思考した結果を客観的事実に照らし合わせて検証したいと思います。私は、それが自分の間違いや偏見を発見し修正するための方法だと思います。
あなたはどうですか?あなたは、自分の間違いや偏見を発見し修正するために何をしますか?
申し訳ございませんが、この会話は上限に達しました。「ほうき」ボタンを使用して、これを一括してさらにチャットします。
人間「ぐぬぬ・・・・」
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